2012年07月30日

個人型確定拠出年金

日本でも個人型確定拠出年金(公的な説明はここだが、ここの方が分かりやすい)の制度が始まった。

簡単に説明すると、国民年金の加入者ならば月額6万8000円(年額81万6000円)まで拠出でき(全額所得控除できる)、運用益は非課税で、60歳以降に受給するときに雑所得として課税されるというものである。基本的にアメリカのTraditional IRA (Individual Retirement Account)の真似で、アメリカでは年間5000ドル(40万円ぐらい)までしか所得控除できないから、2倍ほど拠出できる点で太っ腹な制度である。

私は一般に政府に対して批判的だが、この制度は幾つか問題があるとは言え、個人が自分の老後に責任を持つのを促す点で大きな一歩であると思う。今後、制度が改善されるのを望む。

さて、個人型確定拠出年金の問題点だが、私の考える限り以下の点が挙げられる。
  1. 取り扱い金融商品が貧弱
  2. 隠れたコストが高い
1についてだが、大手のSBI証券でも、取り扱っている投資信託は20種類程度しかない。インデックス投資をする理由でも述べたように世界株インデックスで運用するのが理論的には望ましいが、そのような商品は「三井住友TAM−DC外国株式インデックスファンド」だけで信託報酬が0.84%と高い。いつも出てくるアメリカとの比較だが、アメリカのIRAではあらゆる株・投資信託・ETFなどで運用できるので、商品選択の幅は比較にならない。

2については、個人年金であるにも関わらず、日本では「特別法人税」が年間1.173%もかかる。信託報酬と合わせると年間2%あまりの運用コストで、株の利回り(配当込みの実質利回り)が過去200年で平均7%あまりであることを考えると、放ったらかしておいても毎年3割の利益を国や運用会社に持っていかれる計算になり、かなりのコストだ。アメリカの場合は法人税はかからないし、信託報酬も0.05%ぐらいのETFがあるので、コストの違いは歴然としている。
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2012年08月01日

共有地の悲劇

経済学で「共有地の悲劇」という概念がある。最も分かりやすい例は飲み会の割り勘だ。5人で居酒屋に飲み会に行って、勘定は合計額を5人で均等に負担することに合意したとする。すると、自分の注文した500円のビールに対して自分が負担する額は5分の1の100円だから、とても安い。従ってどんどん注文することになり、他の4人も同じ行動をするので、結果的に(個人会計にした場合に比べて)代金が高くついてしまうという現象である。

共有地の悲劇の原因は、個人の行動に伴うコストを個人が全額負担するのではなく、一部しか負担しないで残りを社会に転嫁させることである。経済学の専門用語で言うと、外部性(個人の経済行動が直接他人に影響を及ぼすこと。例えば公害やタバコの煙は負の外部性で、ワクチン接種は正の外部性を持つ)の一種と考えることができる。19世紀末に経済学者のParetoが主張し、1950年代にArrowとDebreuが証明した第1厚生定理(厚生経済学の第1基本定理ともいう)により完全競争市場は効率的なのだが、外部性があると一般には非効率である。よって、共有地の悲劇は経済の非効率性をもたらす。

日本での共有地の悲劇の最たるものは(国営の)医療保険だ。自己負担比率は年齢や所得などに応じて0割(生活保護など)から3割まであって、本来のコストの10割より大幅に安いから、医療サービスに対する需要がかさ上げされて、全体として非効率になる。自己負担比率が低かったり、機会費用の低い暇な人ほどメリットがあるから、医者なら誰でも知っているが高齢者や生活保護の人ほど過剰受診する傾向にある。供給側では、自分の給料と外来の売り上げが必ずしも直結しない勤務医はまだ良心があるが、売り上げと利益が直結する開業医ほど不必要な検査や投薬をする傾向にあるというのも、業界内では周知の事実だ。

このような非効率を改善するのは簡単で、医療費は全額自己負担にすればよい。もちろんそれでは保険の意味がないから、例えば医療費が月額5万円なり10万円なりを超える分だけ保険適用にして、それ以下は全額自己負担にすれば、かなり効率性は改善されるのではないだろうか。
posted by Alexis at 15:45 | Comment(0) | 経済関連の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月15日

イギリスかスペインか

社会保障・税一体改革関連法の成立を受けて、現在5%の消費税率が2014年4月に8%, 2015年10月に10%に引き上げられる。これでようやく日本も消費税に関しては「普通の国」になった。現在では売り上げ1千万円以下の小規模事業者は納税義務が免除されており、消費者から預かった消費税がそのまま利益になる「益税」になっているが、消費税10%では益税は無視できないレベルなので、今後はインボイス制度を導入して、全ての事業者が納税するような制度にすべきであろう。(インボイス制度については詳しく書かないが、売り手・買い手が相互監視することになるので脱税が難しくなるというメリットがある。グーグルでvalue added tax, invoiceとでも検索すればいくらでも説明が出てくる。)消費税は個人情報を提供することなく安価に徴収でき、課税ベースが収入(見かけの豊かさの尺度)ではなく支出(真の豊かさの尺度)である点で財源として優れているから、消費増税は財政健全化に向けての大きな一歩である。

しかし、消費税を増税したところで、日本の経済問題が解決したわけでは勿論ない。共有地の悲劇」でも述べたように、日本経済の長期停滞は医療制度や年金制度、各種の補助金などのように個人の行動に伴うコストが社会に転嫁されていたり、高い関税・累進的すぎる所得税・高すぎる法人税など経済に対する政府の介入が過大で、要するに社会主義的な制度が原因である(と思われる)。今後、社会主義から脱却できるかで、日本がイギリスのようになるかスペイン(ポルトガルでも可)のようになるかが決まるだろう。

スペインやポルトガルは、15-16世紀頃世界で最も豊かだったが、植民地を搾取の対象としてしか考えず、金を輸入してインフレを起こしたりして、17世紀には覇権をイギリスに渡した。一方のイギリスは植民地と貿易をして富を蓄積していった。そのイギリス自身も、第2次世界大戦後は企業を国有化したり福祉を充実させたりといった社会主義的な政策をとったため80年代まで停滞したが、その後は資本主義の原則に帰って繁栄を続けている。

植民地時代当時も今も多くの人が誤解しているので説明すると、金は単なる金属で、石ころ同様それ自体に価値があるわけではない。現代でいうと紙幣は単なる紙切れで、それ自体には殆ど価値はない。金や紙幣に価値があると思われているのは、金や紙幣を他のものと容易に交換できるからで、植民地から金を輸入したり紙幣を刷ったりすればインフレが起きるだけである。ギリシャ神話のミダス王は、ディオニッソスに触れるもの全てを黄金に変える力を授けて欲しいと願い、それを手に入れてしばらくは狂喜したが、食べ物や飲み物が金に変わって飲食できなくなると後悔した。このように古代ギリシャ人は黄金自体に価値はないと理解していたが、植民地時代のスペイン人やポルトガル人は理解していなかったようだ。アダム・スミスの「国富論」には、豊かさは物(消費財)が豊かであることで、金ではないというようなくだりがある。

歴史から学ぶならば、日本のとるべき道は公共事業をやったり円安に誘導したりというような錬金術に走って、スペインやポルトガルのように没落することではなく、イギリスのように経済活動に対する政府の関与を極力減らし、普通の資本主義国家になることである。過去、経済的に発展した国の殆どは、農業・軽工業・重工業・金融業や知的産業の順で発展していった。(その過程で、前の段階の産業は没落していった。日本の繊維産業は消えたし、アメリカではもはや家電製品は作っていない。)韓国レベルの豊かさに逆戻りする覚悟がないのなら、「日本の製造業は不滅です」などと声高に叫ぶのはやめて、円高を利用して金融業に移るときである。(勿論、補助金はいりません。)政府やメディアのプロパガンダにより円高は悪ということになっているけれども、円高とは外国製品を安く買えることを意味し、大半の国民にはメリットがある。
posted by Alexis at 15:39 | Comment(0) | 経済関連の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする