2012年07月20日

素人が学者の質を判断する

ある専門分野について何も知らない素人が、その分野の学者のレベルを判断することができるだろうか?

これは難しそうに見えて、実は非常に簡単だ。おおまかに言って、次の基準で判断できる。
  1. 専門分野の査読論文を国際的なジャーナルに掲載しているか?(掲載していれば、ジャーナルのランキングと論文数。)
  2. 専門分野の査読論文を(英語・日本語に限らず)日本のジャーナルに掲載しているか?
  3. 専門分野の専門書(またはその一部)を執筆しているか?
  4. 専門分野の一般向け解説書を執筆しているか?
一般向け解説書は専門分野の表層的な理解でも書けるが、専門書はそうではない(それに、専門分野に詳しいと編集者からみなされていないと、そもそも専門書の執筆依頼が来ない)ので、3ができる人は4だけの人より優れている。査読論文を発表するには、少なくとも学界の一部から認められないといけないので、1, 2ができる人の方が3だけの人より優れている。そして1のためには国際的に認められないといけないので、競争範囲が広い分2より優れている。
 
上記の1から4を素人が判断するのはこれまた難しそうに見えて、そうではない。Google scholarで学者名と専門分野(「経済学」とか)を英語・日本語で検索すればいいだけだ。それすら面倒なら、大抵の学者は自分のホームページで業績を公開しているので、個人ページを見つけるだけで済む。
 
上記の基準の例外は、学者の業績が時代を先取りしすぎていて同時代の学界から認められない場合だ。例えば数学者のガロワがこれに該当する。但し、そういう例は極めて稀だ。
posted by Alexis at 09:17 | Comment(0) | 小話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月30日

相関関係と因果関係

相関関係と因果関係は似て非なるものだが、誤解が多いのでちょっと復習。2つの変数XとYがあったとき、XとYを観測して大体同じ方向に動いているならば、「正の相関がある」という。(逆方向ならば負の相関。)一方、Xを人為的に変化させたときにYも変化するなら、因果関係があるという。相関関係は因果関係のための必要条件だが、十分条件ではない。

例えば「戦後日本で花粉症が増えたのは、寄生虫の感染率が下がったからだ」という(因果関係を主張する)説を検証するためには、寄生虫に感染している母集団をランダムに2つに分け、一方には抗寄生虫薬を、他方にはプラセボを投与し、その後のアレルギーの発生率を見る必要がある。この説を真に受けるのであれば、寄生虫感染の多い発展途上国で実験すれば検証できそうだ。もっとも、花粉症が増えたことの別の説明として、戦後ハゲ山にスギを植えたからスギ花粉がそもそも増えた、という説も成り立つ。因果関係は実験しないと分からないから、相関関係に基づいた主張は疑ってかかった方がいい。(一方で、相関関係のないところに因果関係はないから、相関関係を見つけること自体には意義がある。)

歴史は1回しか観測できずサンプル数が少ないこと、倫理的な問題で実験できない現象もあることなどを理由に、経済学では相関関係を見る回帰分析ではなく、(完璧ではないのだが)できるだけ因果関係に近づくために操作変数法が発達した。(残念なことに、生命科学系の人には殆ど理解されていない。)私が精神科医の中村さんらと行なった研究では(論文はここ)、2008年に日本で多発した硫化水素自殺をテーマに、自殺のメディア報道が自殺を引き起こすかという因果関係を検証した。論文中のグラフを見ると、明らかに自殺件数と報道件数の間には相関関係がある。しかし、もちろん実験できないので真の因果関係は分からない。自殺が多いから報道が多いだけかもしれないし、報道が多いから自殺願望のある人が影響されて自殺するのかもしれない。そこで我々は、過去の自殺は報道に影響を与えるが、(自殺する人間が異なるため)過去の自殺は直接には未来の自殺に影響を与えないことに着目した。過去の自殺件数を操作変数として用いて分析したところ、硫化水素自殺の報道は硫化水素自殺を引き起こす(らしい)ことが判明した。

この結果から、メディア報道の規制が必要になってくるかもしれないが(論文にはそう書いている)、本当にそうかはまだ分からない。もともと他の手段で自殺する予定だった人が硫化水素自殺に切り替えただけかもしれないからである。これを調べるには硫化水素自殺の報道と総自殺件数の関係を見なければならないが、論文ではやっていない。(もう1本論文が書ける!?)
posted by Alexis at 14:09 | 小話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月25日

塩狩峠

数年程前に、三浦綾子の「塩狩峠」という小説を読んだことがある。作品を知らない人のために、一言であらすじを書く。―明治時代末期に、永野信夫という鉄道員が名寄から旭川に向かうとき、塩狩峠で乗っている客車が蒸気機関車から離れてしまって、他の乗客を助けるために信夫が線路に身を投じて摩擦となって客車を止め、死亡する―。勿論、これだけでは単なる人身事故で小説に取り上げるまでもないが、信夫が熱心なキリスト教徒だったことだの、結婚を間近に控えていただのと脚色している。しかし、それはここでは本質的ではない。

先日ふと、信夫の殉死は実は無駄だったのではないかと思った。即ち、客車が後方に暴走する以前に乗客全員が助かる方法が存在するからである。

客車が蒸気機関車から切り離された瞬間の速度をv, 塩狩峠の傾斜をθとしよう。一般に鉄道は摩擦が小さいので、それを無視すると、重力加速度をgとおけば、初歩的な物理学により、客車が切り離されてから後退を始めるまでに要する時間はT=v/(g*sinθ)となる。

明治時代の鉄道だから、遅く見積もってv=10km/hとする。重力加速度を9.8m/s^2とする。また、傾斜はきつく見積もってsinθ=1 /10とする。これらのパラメータを上式に代入すると、T=2.83となる。鉄道を速く見積もってv=20km/h, 傾斜をゆるく見積もってsinθ=1/20とすると、T=11.3となる。よって、現実的な値として、客車が切り離されてから後退を始めるまでに、少なくとも3秒、高々11秒の余裕があることになる。

3秒以上11秒以下。これを長いとみるか短いとみるかは個人の価値観に依存するが、理論的には、信夫が客車が切り離されたことを判断し、乗客に窓を開けるよう指示し、客車が静止する一瞬を狙って号令をかけて一斉に飛び降りれば、乗客全員の命が助かったはずである。
しかし問題は飛び降りた後だろう。冬の塩狩峠は随分寒いだろうから。

さて、小説ではこの一連の経過をどのように描写しているのであろうか?(以下引用)

『六さんがこう言いかけた時だった。一瞬客車がガクンと止まったような気がした。が、次の瞬間、客車は妙に頼りなくゆっくりとあとずさりを始めた。体に伝わっていた機関車の振動がぷっつりととだえた。と見る間に、客車は加速度的に速さを増した。』

「止まったような気がした」の部分は主観的な判断で、恐らく客車はまだ止まっていないのだろう。しかし、次の部分では明確に「あとずさりを始めた」とある。その間に現れる時間の表現は「次の瞬間」である。「次の瞬間」はどれぐらいの長さなのか?私の解釈では、1秒以下である気がする。少なくとも 10秒ではあるまい。

以上の思考実験によると、「塩狩峠」の設定は、物理学的に考えて無理がある。永野信夫(小説は実在の長野政雄という人物を題材にしている)は、残念なことに物理学の知識が足りなかったために命を落としてしまった。

少年老イ易ク学成リ難シ.一寸ノ光陰軽ンズ可カラズ.
posted by Alexis at 06:05 | 小話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする