2014年10月25日

塩狩峠

数年程前に、三浦綾子の「塩狩峠」という小説を読んだことがある。作品を知らない人のために、一言であらすじを書く。―明治時代末期に、永野信夫という鉄道員が名寄から旭川に向かうとき、塩狩峠で乗っている客車が蒸気機関車から離れてしまって、他の乗客を助けるために信夫が線路に身を投じて摩擦となって客車を止め、死亡する―。勿論、これだけでは単なる人身事故で小説に取り上げるまでもないが、信夫が熱心なキリスト教徒だったことだの、結婚を間近に控えていただのと脚色している。しかし、それはここでは本質的ではない。

先日ふと、信夫の殉死は実は無駄だったのではないかと思った。即ち、客車が後方に暴走する以前に乗客全員が助かる方法が存在するからである。

客車が蒸気機関車から切り離された瞬間の速度をv, 塩狩峠の傾斜をθとしよう。一般に鉄道は摩擦が小さいので、それを無視すると、重力加速度をgとおけば、初歩的な物理学により、客車が切り離されてから後退を始めるまでに要する時間はT=v/(g*sinθ)となる。

明治時代の鉄道だから、遅く見積もってv=10km/hとする。重力加速度を9.8m/s^2とする。また、傾斜はきつく見積もってsinθ=1 /10とする。これらのパラメータを上式に代入すると、T=2.83となる。鉄道を速く見積もってv=20km/h, 傾斜をゆるく見積もってsinθ=1/20とすると、T=11.3となる。よって、現実的な値として、客車が切り離されてから後退を始めるまでに、少なくとも3秒、高々11秒の余裕があることになる。

3秒以上11秒以下。これを長いとみるか短いとみるかは個人の価値観に依存するが、理論的には、信夫が客車が切り離されたことを判断し、乗客に窓を開けるよう指示し、客車が静止する一瞬を狙って号令をかけて一斉に飛び降りれば、乗客全員の命が助かったはずである。
しかし問題は飛び降りた後だろう。冬の塩狩峠は随分寒いだろうから。

さて、小説ではこの一連の経過をどのように描写しているのであろうか?(以下引用)

『六さんがこう言いかけた時だった。一瞬客車がガクンと止まったような気がした。が、次の瞬間、客車は妙に頼りなくゆっくりとあとずさりを始めた。体に伝わっていた機関車の振動がぷっつりととだえた。と見る間に、客車は加速度的に速さを増した。』

「止まったような気がした」の部分は主観的な判断で、恐らく客車はまだ止まっていないのだろう。しかし、次の部分では明確に「あとずさりを始めた」とある。その間に現れる時間の表現は「次の瞬間」である。「次の瞬間」はどれぐらいの長さなのか?私の解釈では、1秒以下である気がする。少なくとも 10秒ではあるまい。

以上の思考実験によると、「塩狩峠」の設定は、物理学的に考えて無理がある。永野信夫(小説は実在の長野政雄という人物を題材にしている)は、残念なことに物理学の知識が足りなかったために命を落としてしまった。

少年老イ易ク学成リ難シ.一寸ノ光陰軽ンズ可カラズ.
posted by Alexis at 06:05 | 小話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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