2014年03月31日

東大医学部の先にあるもの

前回、「プットオプションとしての東大医学部」では、東大医学部に行く意義は「高学歴」と「医師免許」というアイテムを手に入れることにより、その後の人生の自由度が増すことにあると議論した。もちろん、進路を決める18歳の高校生がそのような経済学的な議論を正確に理解したうえで意思決定をしている(つまり、「合理的期待に基づいて動的計画法を使っている」)とは思えないので、想定と現実の間にギャップがあり、その移行期に程度の差はあれアイデンティティの危機に陥ることになる。今回はそれについて述べたい。

よく言われることだが、(東大レベルの)受験勉強と医学部での勉強の間には殆ど何も関係がない。(寧ろ、医学部の勉強はほぼ丸暗記で、その能力を見るために多くの医学部はセンター試験を重視しているわけだ。)私が病理学の授業を受けたときの先生の言葉がそれを如実に表している:(過形成・異形成・低形成・退形成などを図で説明して)「君たち、こんな小学生でもわかるようなことをするなら何のために頑張って数学を勉強したのかという気になるでしょ」。東大レベルの受験勉強で培われた論理的・分析的能力を医学部での勉強に応用することは困難だ。幸福の源が何であるかは諸説あるが、「自分の能力でぎりぎり達成できる目標を達成すること」をその一つと考えれば、大学3年になって専門の勉強が始まると「こんなはずじゃなかった」ということになる。(実際、私も大学1・2年のころは数学ばかり勉強しており、3年生になったときに深刻な危機に陥った。)

だが、大抵は皆危機を乗り越える。ある者は研究室に出入りして生命科学の研究をする。別の者は諦めてただの医者になる。また別の者は全く無関係な分野に挑戦する。その結果は一部の人には不本意かもしれない。だから東大医学部を医学という分野と切り離して、ただのエリート校と理解すれば、職業選択の幅が広がって幸福になる機会が増えてよいと思う。

で、「なぜ医学から経済学に転向したのですか?」という質問に対する答え。大学3年のアイデンティティの危機に際し、初めは(生命科学の中でも比較的数学的な)生理学をやろうと思ったが、いくらか実験するうちに自分は実験をする才能も根性もないということがわかった。そうこうするうちに大学4年の公衆衛生の一コマに医療経済の授業があり、需要曲線や供給曲線を見て社会現象を数学的に分析することに目から鱗が落ちる思いであった。その後は「東大医学部がプットオプションである」と(正しく)認識できたので、経済学を独学する傍ら順当に卒業・医師免許取得・研修医を済ませ、Ph.D.に挑戦したわけである。
posted by Alexis at 02:23 | Comment(0) | 学習関連の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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